最上町 山刀伐峠

こんにちは!
最上町山刀伐峠に行きました。
松尾芭蕉の著作の奥の細道の中で、最大の難所として出てくるのが山刀伐峠トンネルができていて、すんなりと通り抜けることができますが、旧道の山刀伐峠も保存されていて、むかしの苦労をしのぶことができます。
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赤倉側からはいります
残されている旧道は全長4.7km。狭く曲がりくねった峠道です。旧道の南側の入り口には「奥の細道」と書かれた標識が立っていて、広い駐車場が整備されています。
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標高470m最上町と尾花沢市を結ぶ峠である。27曲りと言われた最上側の急峻な地形に対して、尾花沢市側は裾の長い、なだらかな地形をしている。この形状が冠物(かぶりもの)の「なたぎり」に似ていることから峠の名称が発生したと言われる。
 元禄2年(1689年)5月17日(陽暦7月3日)芭蕉と曽良屈強の若者に案内されて、尾花沢に向かって山刀伐峠を越えた。
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峠まで直ぐですからいきましょう。
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峠の頂上には霧雨に霞んで俳人加藤楸邨揮毫による「奥の細道顕彰碑」がある。
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峠はここです
高山森々として、一鳥声きかず、木の下闇、茂りあひて、夜行くがごとし。雲端(うんたん)に土ふる心地して、篠の中、踏み分け踏み分け、水をわたり、岩につまづいて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。
<現代語訳>高い山が森々として木が生い茂り、鳥の声ひとつ聞こえてこない。木の下は暗く枝葉が茂り合っていて、(まるで杜甫の詩句にいう)「雲の端から砂まじりの風が吹き下ろす」という言葉どおりの気持ちがして、小笹のなかを踏み分け踏み分け、流れを渡り、岩につまずき、冷や汗を流してようやく最上の庄にたどり着いたのであった。
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「おくのほそ道」顕彰碑。東屋の北側に俳人・加藤楸邨の筆による「おくのほそ道」紀行の顕彰碑がある。顕彰碑は昭和42年(1967年)11月に完成し翌年6月に除幕式が行われた、山頂には子宝地蔵尊もあります、子宝地蔵尊は以前小さな祠に鎮座していたが現在は立派な祠ができている。山頂のシンボル的存在となっている子持ち杉の樹齢は未詳だが芭蕉の来た時もここにあったのだろう。
駐車場にありました。
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尾花沢にいきます
比較的に尾花沢側の道は走りやすいです。
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間違いなくナタギリ峠昔の峠道が保存されていて遊歩道となっています!
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走っていたらこんな景色もありました。
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県道にでました
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最上町観光協会  http://wt-mogami.com/mkk/  見る歴史の3にあります。
ここから尾花沢に向かいます。
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