三崎公園 (にかほ市)

車で巡る奥の細道
こんにちわ!車で巡る奥の細道もヤット半分を過ぎるかなあ・・と 思える辺りに差し掛かりました。
象潟図屏風
象潟―失われた風景 大地震(1804年)前の象潟
芭蕉の行動
6月15日:酒田より象潟に向けて出立。朝より小雨。昼過ぎ遊佐町(吹浦)に到着。強雨のためここに宿泊。
 6月16日:吹浦を出発。降雨の中を秋田県由利郡象潟町へ。
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うやむやの関に至る。ここで雨甚だ強く、船小屋で休憩。昼過ぎ、塩越に到着。佐々木孫左衛門次郎宅に入る。ここで濡れた着物の着替えを調達した。うどんを出される。雨の中を象潟に行き、暮色を眺める。今野加兵衛来る。
 6月17日:朝の中小雨が残る。昼には晴天。神宮皇后の御陵と称する寺に参詣。夕食後船で湾内に出る。加兵衛は、酒や茶菓子を持参
6月18日:快晴。酒田へ取って返す。
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三崎公園は、秋田県と山形県の県境にある標高70メートルの三崎山一帯です。鳥海山噴火の溶岩で形成され、海水の浸食で切り立った崖が続きます。
日本海側の街道随一の難所として知られました。「地獄谷」「駒泣かせ」「沓掛」などの地名が当時をしのばせてくれます。また、松尾芭蕉が象潟をめざして「奥の細道」の旅をした街道としても有名です。
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こんな伝説もあります。
今から1200年程前、三崎山に恐ろしい怪物が住んでいて、そこを通る旅人を捕らえて食べていました。この怪物は、手が長くて鳥海山まで届き、足は飛島までひとまたぎできたといいます。住んでいた岩の洞窟付近には人間の骨が散らばっていました。この怪物を退治しようと出かけていった武士も、帰ってくる人はほとんどいませんでした。道行く人々はおそるおそる三崎山を通っていたのです。ところが、関所付近の林に三本足のカラスが住んでいて、近くに手長足長がいるときは「ウヤ」と鳴き、いないときは「ムヤ」と鳴きました。ここを通る人々は、これを聞き分けて通るようになりました。そんなに長い手足なら逃げられないよね!もしかして悟空の如意棒みたいに 伸び縮みするのかな?
それ以来、この関所を有耶無耶の関と呼ぶようになりました。うやむやにしておわりましょう。
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地図を見てみましょう。




ここなら説明なしでも行けるでしょう。ここで秋田と山形の県境が定規で引いたようにまっすぐなのが気になりました、もしかして本当に定規で引いていたりして!?
うやむやにしておきましょう!
三崎峠越えアルバム(2008)
youtube動画
奥の細道 三崎公園
旅の参考に!
由利地域観光振興会  象潟観光案内  にかほ市象潟観光  遊佐町観光協会  観光パンフにかほ市  観光パンフ遊佐町
それでは貴方の目で確かめに行って下さい。

温海に進む・・・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200809article_11.html
象潟に戻る・・・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200803article_10.html
奥の細道トップ・https://masaokapp.seesaa.net/article/200710article_17.html

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