白山神社(能生町)

車で巡る奥の細道
こんにちわ!上越高田を発った芭蕉は 国分寺と居多神社(こたじんじゃ)を回り能生まで来たはずです。
記録によると!?
「奥の細道随行日記」によると元禄2年(1689年)7月11日(陽暦8月25日)は快晴でかなり暑かった。芭蕉主従は午前10時すぎに高田を出て五智を経て名立に泊まる予定だったが紹介状が届いていなかったのか一足のばして筒石を経てこの日約40キロ歩いて「暮テ着」というからかなり遅い時間に玉や五郎兵衛(現在の玉屋)に着いたようだった。とそのとうりですね!
能生の玉や五郎兵衛に泊まった芭蕉は「汐路の鐘」のことを聞き詠んだ句といわれている。
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芭蕉の句碑
曙や 霧にうつ満く かねの声

白山神社の鳥居をくぐると左側奥に「越後能生社汐路の名鐘」の臣碑に芭蕉の句が刻まれている。文政5年(1822年)岡本姫山が建立したもので、それから岡本家の人々やお寺のお坊さんなどの間に俳句が盛んになったといわれている
汐路の鐘とは
文治(1185年~1190)の頃、義経主従が山奥へ逃れる途次に、当時7戸の漁村であった能生浦に宿った。数旬滞在した一行は武運長久を能生山太平寺に祈って常陸坊の名を刻んだ梵鐘を寄進したといわれている。明応年間に消滅しその残銅をもって鋳返したという鐘が、今、白山神社に残っている。 (西頚城郡郷土誌)
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汐路の鐘伝説
むかしより能生社にに不思議な名鐘がある。これを汐路の鐘といっている。この鐘は汐が満ちてくると、人がさわらずとも、その音は一里四方になり響くという。この海辺では、海士の子まで、自然と潮の満干を知っている。明応の頃、焼亡した。けれどもその残銅をもって能登の国で鋳返したといわれている。(能生町史)
ここの神社に来たんですから 弁天岩も見たんでしょうね!
すぐ目の前ですからね!
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能生の港の近くには、弁天岩があり、徒歩で渡ることが出来ます。町のシンボル的場所です。
 岩(島?)には、厳島神社が祀られ、一番高い所には、能生港灯台が有って、近くを通る船を案内しています。東にすぐ、能生の道の駅があります。(風力発電の風車が目印)
ぜひ 蟹を買って帰って下さい!それほどにお勧めです
白山神社の場所を 確認しましょう!




ここの所に車を置いて見学するようです、近くには歴史資料館も在りますので 併せて見られますね!弁天岩は車でそばの海岸まで行けます。(海水浴シーズンは無理)
そして芭蕉が泊まったとされる 玉や 現在も旅館玉屋として 残っている。
それではいってらっしゃい!
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ここは何といっても蟹でしょう!!

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