倶利伽羅峠へ
車で巡る奥の細道
奈呉ノ浦を発った芭蕉は何処に行ったのか?
奥の細道では・・
那古の浦に至った芭蕉は、さらに同じく万葉の歌枕の地である有磯海(ありそうみ)、擔籠の藤浪(たごのふじなみ)を訪れようとします。しかし土地の人から「ここから五里もあるし、行く先には泊めてくれる宿もない」とおどされ、断念。そのまま高岡の街へ向かい、ここで一泊。
翌日、その気があれば巡り歩くことも可能だったのでしょうが、高岡を発った芭蕉はまっすぐ金沢へ向かうべく、倶利伽羅(くりから)峠へと足を進めるのでありました。具合が悪かったのよね!
こんどこそ 倶利伽羅峠です。
倶利伽羅峠
越中(富山県)と加賀(石川県)の国境に位置する峠で標高は277mほど。源平の世木曽義仲(きそのよしなか)が活躍した古戦場でもあります。
芭蕉は大の義仲びいき。滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られ、現在も義仲の墓と隣り合わせに静かに眠っています。
義仲寺の記事 義仲産湯の清水
私なりに思うと 雨晴辺りまで行きたかったのではと思います。芭蕉は義経も好きですから??
長い説明になりますが
火牛の計
1180年(治承4年)、信州の木曽山中で兵を挙げた源(木曽)義仲は京都を目指して北陸道を突き進み、1183年(寿永2年)倶利伽羅山(砺波山)で平維盛の軍と戦った。
平氏の平維盛は倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣をひいて待機、源氏軍を待ちかまえていた。しかし源氏の木曽義仲は奇襲戦法「火牛の計」を図り、5月11日夜半、上方より法螺貝、太鼓を鳴らしたうえ、角にたいまつをつけた牛(火牛)500頭を平氏軍につっこませる。
昼間の進軍で疲れきっていた平家軍は奇襲を受け、右往左往し何もできない。やがて平家軍一万八千余騎は源氏の軍に追いつめられ、人馬もろとも地獄谷に突き落とされたという。
木曽義仲誕生の地
現在、旧北陸道の倶利伽羅峠越えは歴史国道として整備されて、越中側の石動(いするぎ)駅から加賀側の竹橋まで約10km、高低差250mほどのお手軽なハイキングコースに、なっています。猿ヶ馬場は平氏の軍が本陣を構えたとされる場所で、
芭蕉の句碑
義仲の 寝覚の山か 月悲し が建ちます。
最後に地図を出します
私は石川側の公園の駐車場に車を置いて歩いて回りました。
八重サクラの綺麗なときでした。
動画サイト
ムービアムトップ 倶利伽羅峠
トラックバックの方の記事が良く撮影されています。 多分僕と数日も違わずに 行ったと思います。
今庄も回っているんですね!それでは行ってらっしゃい!
金沢に進む・・・・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200804article_11.html
新湊に戻る・・・・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200804article_6.html
奥の細道トップ・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200710article_17.html
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奥の細道では・・
那古の浦に至った芭蕉は、さらに同じく万葉の歌枕の地である有磯海(ありそうみ)、擔籠の藤浪(たごのふじなみ)を訪れようとします。しかし土地の人から「ここから五里もあるし、行く先には泊めてくれる宿もない」とおどされ、断念。そのまま高岡の街へ向かい、ここで一泊。
翌日、その気があれば巡り歩くことも可能だったのでしょうが、高岡を発った芭蕉はまっすぐ金沢へ向かうべく、倶利伽羅(くりから)峠へと足を進めるのでありました。具合が悪かったのよね!
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倶利伽羅峠
越中(富山県)と加賀(石川県)の国境に位置する峠で標高は277mほど。源平の世木曽義仲(きそのよしなか)が活躍した古戦場でもあります。
芭蕉は大の義仲びいき。滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られ、現在も義仲の墓と隣り合わせに静かに眠っています。
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私なりに思うと 雨晴辺りまで行きたかったのではと思います。芭蕉は義経も好きですから??
長い説明になりますが
火牛の計
1180年(治承4年)、信州の木曽山中で兵を挙げた源(木曽)義仲は京都を目指して北陸道を突き進み、1183年(寿永2年)倶利伽羅山(砺波山)で平維盛の軍と戦った。
平氏の平維盛は倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣をひいて待機、源氏軍を待ちかまえていた。しかし源氏の木曽義仲は奇襲戦法「火牛の計」を図り、5月11日夜半、上方より法螺貝、太鼓を鳴らしたうえ、角にたいまつをつけた牛(火牛)500頭を平氏軍につっこませる。
昼間の進軍で疲れきっていた平家軍は奇襲を受け、右往左往し何もできない。やがて平家軍一万八千余騎は源氏の軍に追いつめられ、人馬もろとも地獄谷に突き落とされたという。
木曽義仲誕生の地
現在、旧北陸道の倶利伽羅峠越えは歴史国道として整備されて、越中側の石動(いするぎ)駅から加賀側の竹橋まで約10km、高低差250mほどのお手軽なハイキングコースに、なっています。猿ヶ馬場は平氏の軍が本陣を構えたとされる場所で、
芭蕉の句碑
義仲の 寝覚の山か 月悲し が建ちます。
最後に地図を出します
私は石川側の公園の駐車場に車を置いて歩いて回りました。
八重サクラの綺麗なときでした。
動画サイト
ムービアムトップ 倶利伽羅峠
トラックバックの方の記事が良く撮影されています。 多分僕と数日も違わずに 行ったと思います。
今庄も回っているんですね!それでは行ってらっしゃい!
金沢に進む・・・・・https://masaokapp.seesaa.net/article/200804article_11.html
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