奥の細道むすびの地 (大垣)

車で巡る奥の細道

終にむすびの地 たどり着きました。
奥の細道絵巻-大垣
奥の細道では・・・
駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、
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 元禄2年(1689)の秋、俳聖・松尾芭蕉は、約5ヶ月の漂泊の旅を、ここ大垣で終えました。世に名高い「奥の細道」の旅です。その折、芭蕉は「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下りました。
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観光協会のパンフ等によりますと
芭蕉と木因との交流・大垣俳壇の資料が展示されている「奥の細道むすびの地記念館」
芭蕉が最初に大垣を訪れたのは、貞享元年(1684)、「野ざらし紀行」の旅の途中、俳友・谷木因(ぼくいん)を訪ねたのが始まりで、以後3回来垣しています。谷木因と芭蕉とは、京都の北村季吟(きぎん)の相弟子でした。当時、大垣の俳諧は、大垣十万石の城主戸田公の文教奨励もあって、谷木因の指導のもと、大垣藩士らを中心に盛んでしたが、芭蕉の4回にわたる大垣への訪れは大垣俳壇に新風を吹き込みました。これを機に、「蕉風」俳諧は美濃一円に広がり、以後美濃俳諧としての基礎が固まりました。
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記念館のそばや 川沿いの道が整備されていて ユックリと散歩ができる。
とりあえずは 回って見ましょう
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この様な人工の滝もあります、川では鯉がのんびりと泳いでいます。
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この場所は まず最初にガイドされるばしょです。私が行った時も外国の団体さんがいました。
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蛤の 二見に別 行秋そ
川の向こう側に行くと 割と観光客は 少なくなります!少し歩いていってみますか?
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住吉橋
途中には遊歩道用の この様な橋が架かっています。
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住吉灯台と船町港跡です。
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船町道標
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この句碑の前で一服していたら 観光ボランティアの方らしき人に話し掛けられました。
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隠家や 菊と月とに 田三反
「句碑めぐりですか?」 と聞かれて 私は「そうです、去年回った場所や 解らないところを 見て歩いています。」
で始まり、話は奥の細道の辿った話が続きました。一人旅なので ほっと一息できました。
イメージは合いませんがエンディングは帰れない二人 井上陽水&忌野清志郎





ここの場所に広い駐車場がありました、総合福祉会館の前にもありますが 小さいのですぐに満車になります。
私も9時前に行きましたが もう一杯でした、今回紹介の場所の方がいいと思います。
マップコード 78673354*23
ムービアムトップ  奥の細道結びの地
車で尋ねて 奥の細道 大垣むすびの地に着きました。皆さんの旅の参考にお役に立てれば私としても 嬉しいです、気をつけて いってらっしゃい!
芭蕉は伊勢に向かったので伊勢の記事・・二見浦
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大垣観光協会  観光パンフナビ大垣

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