嵐山史跡の博物館 (嵐山町)

訪問をいただきありがとうございます。
こんにちは!安・近・短・今回は 嵐山町の 嵐山史跡の博物館に 行ってきました。
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博物館は 城館をテーマとする博物館で、主に古代から中世にかけての比企郡に関わる歴史資料を扱っている。
埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷757番地  月曜日(祝日・5月1日・2日が月曜の場合開館) 年末年始(12月29日~1月3日)
一般 100円(20名以上の団体は60円) 高校生・学生 50円(20名以上の団体は30円) 中学生以下、65歳以上、障害者の方 無料  と なんとも低料金の施設です。
ここで このような パンフレットを 戴きました。
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パンフの中には 戦国時代の この辺りの 館と城跡の紹介がありました。
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これは 行ってみなくては!
景色抜群の 山城跡めぐりです。
ほとんどが 1500年あたりに 全盛を迎えています。
たくさんの戦国武将が登場します。
期待して下さい。
パンフを元に簡単に説明します。
比企地域には 69の城館が確認されていて 多くが15世紀後半から16世紀に築かれました。
関東では15世紀後半 将軍足利義教と鎌倉公方足利持氏が対立した永享の乱(1438~9)に始まり 結城合戦、享徳の乱、長尾影春の乱、長享年中の大乱、(1487~1505年) と下克上の戦国の戦乱の中各地に城郭が作られました。
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特に 比企地域が 戦場となった 須賀谷合戦(1488年) 高見原合戦 戦死者700余 
この戦いは 鉢形城本拠の山内上杉氏と 河越城本拠の扇谷上杉氏が 比企を舞台に激しい戦闘をおこないました。
菅谷館、杉山城はこの大乱の中築かれたと考えられている。
16世紀に入ると後北条氏が武蔵国に 侵攻、 北武蔵は 上杉氏、長尾景虎(上杉謙信)、後北条氏、の戦いの場となりました。
河越夜戦以後、1563年まで続いた松山合戦は松山城、北武蔵の 支配権を巡る争いでした。
北武蔵が 後北条氏の支配となり、 松山城は 他国衆上田氏が 城主となり、後北条氏が亡びる 1590年まで続きました。
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小倉城は 後北条氏の 重臣 遠山氏、上田氏はっきりしない部分もありますが、16世紀に築城され 八王子城と鉢形城を結ぶ軍事拠点でした。
菅谷館跡、松山城、杉山城、小倉城は保存状態が良好な上北武蔵の戦国を伝える史跡として 高く評価されています。

史跡めぐりは ここ以外は すべてが無料で見られます。たまに 詳しい方に会ったりすると 説明が付いたりして・・・(ほとんど 一人で見学ですよ)

まずは
木曽義仲誕生の地(義仲さん生まれは嵐山?)  大蔵の館跡  源 義賢の墓  松山城  杉山城跡(城郭が凄い)  小倉城跡  青山城跡  腰越城跡(上から眺める小川、東秩父の景色がすばらしい)  道の駅おがわまち  高見城跡(景観がすばらしい!)  鉢形城跡(色々な武将が攻めてきました)  菅谷館跡  嵐山渓谷  埼玉・群馬の戦国時代 
小江戸川越も見たい方・・・おでかけ川越に!
それでは行ってらっしゃい!




■黒山鉱泉館
緑の山に囲まれた静かな宿!四季折々の花を楽しめます♪天然鉱泉が自慢!まごころこめたおもてなし。




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