鎌形八幡 木曽義仲産湯の清水(嵐山町)
こんにちは!
安・近・短・今回は 埼玉県 嵐山町の鎌形八幡の紹介です。
鎌形八幡神社は平安時代の初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡神社宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると伝えられている社です。
八幡神社は武門、武将の神として信仰され、源義賢、源義仲、源義高3代の伝説がこの地には多く残り、源氏の氏神として仰がれているということです。
木曽義仲の父は帯刀先生源義賢で、鎌形の隣の鎌倉街道上道の通っていた大蔵に館を構えていました。義賢は義仲(駒王丸)が2歳の時に義賢の甥の悪源太義平に討たれてしまいました。その時、駒王丸は母、小枝御前と共に畠山重能、斉藤実盛らの温情により助けられ信州の木曽に逃れたのでした。
鎌形八幡神社にある木曽義仲産湯の清水は、義賢がこの地に下屋敷をもうけて小枝御前に生ませた駒王丸の産湯の清水なのです。
木曽義仲はこの地で生まれたと伝えられていて、彼の活躍した舞台は木曽、信濃、北陸、そして京の都でここ鎌形は生まれ故郷でしかありませんが、義仲の子の義高や妻の山吹姫は鎌倉街道上道に関係して登場する人物です。
木曽義仲産湯の清水は
右の下の 御手洗槽の竹筒から清らかな水が出ています。
それでは 場所を 出しますね!

木曽義仲 産湯の清水と はっきり書いてありますよね!
岡ポン評価
5段階評価(俺3以下の通信簿だったな!)
景観 1 お手軽度 5 感激度 5(木曽義仲がここで生まれたとは)
それでは皆さんいってらっしゃい!
木曽義仲の 関係する記事
義仲館 徳音寺 宮ノ越 木曽義仲[よしなか]のために建てた興禅寺 義仲誕生の地と山吹姫の墓 倶利伽羅峠 多太神社 今庄 燧ヶ城址 義仲寺
最新の産湯の清水は下のトラックバックで!



安・近・短・今回は 埼玉県 嵐山町の鎌形八幡の紹介です。
鎌形八幡神社は平安時代の初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡神社宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると伝えられている社です。
八幡神社は武門、武将の神として信仰され、源義賢、源義仲、源義高3代の伝説がこの地には多く残り、源氏の氏神として仰がれているということです。
木曽義仲の父は帯刀先生源義賢で、鎌形の隣の鎌倉街道上道の通っていた大蔵に館を構えていました。義賢は義仲(駒王丸)が2歳の時に義賢の甥の悪源太義平に討たれてしまいました。その時、駒王丸は母、小枝御前と共に畠山重能、斉藤実盛らの温情により助けられ信州の木曽に逃れたのでした。
鎌形八幡神社にある木曽義仲産湯の清水は、義賢がこの地に下屋敷をもうけて小枝御前に生ませた駒王丸の産湯の清水なのです。
木曽義仲はこの地で生まれたと伝えられていて、彼の活躍した舞台は木曽、信濃、北陸、そして京の都でここ鎌形は生まれ故郷でしかありませんが、義仲の子の義高や妻の山吹姫は鎌倉街道上道に関係して登場する人物です。
木曽義仲産湯の清水は
右の下の 御手洗槽の竹筒から清らかな水が出ています。
それでは 場所を 出しますね!
木曽義仲 産湯の清水と はっきり書いてありますよね!
岡ポン評価
5段階評価(俺3以下の通信簿だったな!)
景観 1 お手軽度 5 感激度 5(木曽義仲がここで生まれたとは)
それでは皆さんいってらっしゃい!
木曽義仲の 関係する記事
義仲館 徳音寺 宮ノ越 木曽義仲[よしなか]のために建てた興禅寺 義仲誕生の地と山吹姫の墓 倶利伽羅峠 多太神社 今庄 燧ヶ城址 義仲寺
最新の産湯の清水は下のトラックバックで!
この記事へのコメント