一郷山城 牛伏山

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高崎市牛伏山の 補足記事です。
永享10年(1438年)、関東執事である上杉憲実は関東管領である足利持氏と争い平井城に移ってきた。
つまり、永享の乱の勃発である。
平井城築城と共に、平井の西の守りとして新堀城(多比良城)と共に牛伏の山に一郷山城が築城された。
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やがて、上杉氏は滅亡し、武田信玄が上州に攻め込んでくると、箕輪城攻略のために甘楽を攻めることになり、永禄6年(1563年)2月に甘楽郡攻略を目的として武田軍が攻め寄せた時に、武田信玄は先ず一郷山城攻めから取り掛かった。
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一郷山城では登ってくる武田勢に大石を落として防戦に努めたが、その大石が麓の寺を直撃し、寺を破壊して出火し、山は大火事となった。
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この山火事で、一郷山城は全焼し、将兵は全員討死、女子供も崖から身を投げて落城した。
一郷山城に続いて新堀城も落城、やがて甘楽郡一円は武田氏の所領となった。
多野、甘楽の戦い詳細 (勝手にリンクですが よく説明されています)
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現在では、模擬天守・自動車道路を建てるため、遺構は破壊されてほとんど無い。模擬天守を建造するために、遺構を破壊したという最悪のケース…。と なりました!

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それでは皆さんいってらっしゃい!
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