平井城

こんにちは!
訪問いただき ありがとうございます。久しぶりに アップします。
今回の紹介は 群馬県 藤岡市の関東管領平井城跡です
平井城跡
 関東管領山内上杉氏の居城跡で、室町時代における関東地方支配者の居館があった場所です。城は永享10年(1438)、上杉憲実の命で家臣の長尾忠房が築いたものとされ 鮎川河岸の断崖を利用して築かれたもので、二重の堀と土累が巡らされていました。
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 城は天文21年(1552)に上杉憲政が北条氏に攻められて、越後の長尾景虎を頼って落ち延びるまで続きました。城の南西約1.2㎞には、本城防備のための詰城であったとされる平井金山城跡があります。
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平井城跡は、西平井地区の鮎川左岸の断崖上にあります。
 「本丸」と呼称される主郭は、鮎川が湾曲する南端部に置かれ、その西に「二の丸」と「笹曲輪」という副郭が南北に連なり、北には「三の丸」があり、城域を「庚申堀」で囲み、自然地形を生かした「惣構」となっていたと推定されています。
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平井城と金山城は、室町幕府の関東管領職にあった山内上杉氏の居城と、その詰めの城(戦闘用の山城)でした。居城があった西平井地区は、1世紀余りの間、関東の実権を握った山内上杉氏の城下として栄えました。
説明の看板が沢山ありました、関東管領となると凄いですね!
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上杉謙信公 奪還回復の城跡と 書いてありますね。
天文21年(1552)の春、小田原に本拠をもつ北条氏康に攻められ落城しました。時の関東管領山内上杉憲政は、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)の援助をもとめて亡命しました。その後、両城は後北条氏の支配下におかれました。永禄3年(1560)の長尾景虎の関東出陣の時に奪還された平井城は、景虎によって廃城にされたと伝えられています。
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そして 上杉氏一族の碑 など この辺りは 上杉氏に関係が深いんでしょうね!
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現在、関東管領平井城趾公園として、土塁や内堀・橋などが復元整備され、当時の平井城の姿を垣間見る事ができます。
場所の確認をしましょう。




地図だけで 場所が特定できるでしょうか?マップコード20154840*82
それでは皆さんも行ってみて下さい。
ここですが 豚舎が あるんでしょうか?とってもくさいのよ~!それは覚悟してね。
近くの記事は  金山城  桜山公園  多胡の碑  一郷山城(牛伏山)  寄居の少林寺  鉢形城跡  埼玉・群馬の戦国時代
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