越生七福神めぐり (越生町)
こんにちは!
訪問いただきまして ありがとうございます。
今回は 埼玉県越生町(おごせまち)七福神を巡って見たいと思います。
パンフレットによると 越生駅よりバスで黒山までバスで行きそこからのスタートになります。
183分 バス25分とありますが 僕は自転車で3時間掛かりました。
昔から庶民信仰として人気の七福神まいり。
静かな山あいから、のどかな里道をたどる風情あるコース。
越生町黒山地区から町の中心部にかけて、七つの寺をお参りするコース。まず、越生駅からバスで黒山まで行き、そこから駅に向かって歩くコースがおすすめ。途中、山道などもありますので、ハイキングスタイルでお出かけください。(法印は各寺300円)
布袋尊・・・・全洞院
布袋(ほてい)は、中国に実在したと言われる異形の僧とのことである。
大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれ、日本では七福神として信仰されている。
飯能戦争に敗れた振武軍の副将だった渋沢平九郎の墓がある。
全体案内図 ルートマップ 詳細記事出来ました!
毘沙門天・・・龍穏寺
毘沙門天(びしゃもんてん)は仏教における天部の仏みたいである。
持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であるとのことである。
また四天王の一員としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっているみたいである。
境内には道真、道灌父子の墓がある。(詳しいことはここで!)
全体案内図 ルートマップ 詳細記事できました
寿老人・・・円通寺
(寿老人(じゅろうじん)は中国の伝説上の人物で、道教の神仙(神)とのことである。
南極老人星(カノーブス)の化身でもあるようで、酒を好み頭が長く、白髪で赤い顔をした長寿の神とされているようである。
日本では七福神として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神からはずされたこともあったようである。
寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている。
手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っているとのことである。
大護山円通寺は龍ヶ谷の曹洞宗・龍穏寺の末寺で、寛文年間(1661~1673)に龍穏寺第22世・鉄心御州禅師が開山しました。
その後、宗派を変えたりしましたが、龍穏寺第48世・天産慧苗禅師が中興開山し、多くの名僧を輩出しています。
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
福禄寿・・・最勝寺
福禄寿(ふくろくじゅ)は、道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福、封禄、長寿の三徳を具現化したものとのことである。
宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもあるようである。
福禄寿(ふくろくじん)とも言われている。
青龍山最勝寺は建久4年(1193)、源頼朝公の命によって、児玉雲太夫が創建したといわれています。
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
弁財天・・・弘法山
弁才天は(べんざいてん)は、仏教の守護神とのことである。
日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され「弁財天」と表記する場合も多いようである。
本来、仏教の尊格だが、日本では神道の神とも見なされている。
弁天とも言われているようである。
弘法山は高房山とも言い、以前は山頂に浅間神社、中腹に弘法山 観世音、山麓に見正寺があって全山信仰の対象として知られ、特に弘法山観世音が弘法大師の作と伝えられていることから、弘法山とも呼ばれるようになった。
「子育て観音」
現在でも乳房の作り物を奉納し、安産を願う方々の姿が見られます
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
大黒天・・・正法寺
大黒天は密教の大黒天、 マハーカーラが元になり出来た密教の神みたいである。
密教の大黒天が元になりできた仏教の天部に属する神であるようです。(本来の仏教では神及び多神を否定しているようであるが、現在でも神や多神を認めない仏教宗派もあるみたいである。)
神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神でのようである。
大慈山正法寺は足利尊氏の開基といわれ、鎌倉・建長寺の末寺として高僧の隠居寺になっていた。死期を悟った高僧は活仏となるため、自ら土中に埋まり入定した。これを物語る入定塔が今も残っている。本堂の脇の閻魔堂には地獄の盟主・閻魔大王像が祀られている。
明治4年には越生で初のの学校が設けられた。正法寺の学校と呼ばれ、明治10年の卒業名簿を刻んだ碑も建てられている。また山門には山岡鉄舟揮毫の額がかけられている。
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
恵比寿・・・法恩寺
恵比寿は本来「大漁追福」の漁業の神であったようであるが、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となったとのことである。
松渓山法恩寺は高僧・行基が東国遊行のおり、金名水・銀名水より立ち上る気を見て大日、釈迦、弥陀、如来、薬師の像をみつけ、天平13年(738)にこれを祀ったのが始まりといわれる。その後荒廃したが文治年間(1185~1190)に源頼朝の命により越生次郎家行によって再興され、源家繁栄の祈祷所となる。その後、天正19年(1591)には徳川家康から寺領20石を賜ることとなった。長い間、密教道場として栄えたが明治34年(1901)に鐘楼と山門を残して焼失。大正12年に本堂を再建した。国指定文化財の釈迦三尊及び阿難迦葉像、高野丹生明神像をはじめ、数多くの宝物、文化財が保存されている。もとは報恩寺と記したが、いつの頃からか法恩寺と記されるようになった。
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
という順番で 巡ります。
ちなみに僕の場合は 逆に回りました。自転車で3時間近く 掛かりました。
朱印押し印 300円
それでは 春を探しに 行ってらっしゃい!
旅の参考に!
越生町観光案内
五大尊つつじ公園 川越七福神めぐり 寄居七福神 小幡七福神めぐり 八溝七福神めぐり
緑の山に囲まれた静かな宿!四季折々の花を楽しめます♪天然鉱泉が自慢!まごころこめたおもてなし。
都心からも気軽に足を伸ばせるウェルサンピア埼玉おごせは、梅の里にゆったりと建っています。
航空券+宿泊 自由自在の組み立て旅行 ANA楽パック
訪問いただきまして ありがとうございます。
今回は 埼玉県越生町(おごせまち)七福神を巡って見たいと思います。
パンフレットによると 越生駅よりバスで黒山までバスで行きそこからのスタートになります。
183分 バス25分とありますが 僕は自転車で3時間掛かりました。
昔から庶民信仰として人気の七福神まいり。
静かな山あいから、のどかな里道をたどる風情あるコース。
越生町黒山地区から町の中心部にかけて、七つの寺をお参りするコース。まず、越生駅からバスで黒山まで行き、そこから駅に向かって歩くコースがおすすめ。途中、山道などもありますので、ハイキングスタイルでお出かけください。(法印は各寺300円)
布袋尊・・・・全洞院
布袋(ほてい)は、中国に実在したと言われる異形の僧とのことである。
大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれ、日本では七福神として信仰されている。
飯能戦争に敗れた振武軍の副将だった渋沢平九郎の墓がある。
全体案内図 ルートマップ 詳細記事出来ました!
毘沙門天・・・龍穏寺
毘沙門天(びしゃもんてん)は仏教における天部の仏みたいである。
持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であるとのことである。
また四天王の一員としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっているみたいである。
境内には道真、道灌父子の墓がある。(詳しいことはここで!)
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寿老人・・・円通寺
(寿老人(じゅろうじん)は中国の伝説上の人物で、道教の神仙(神)とのことである。
南極老人星(カノーブス)の化身でもあるようで、酒を好み頭が長く、白髪で赤い顔をした長寿の神とされているようである。
日本では七福神として知られているが、福禄寿はこの寿老人と同一神と考えられていることから、七福神からはずされたこともあったようである。
寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている。
手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っているとのことである。
大護山円通寺は龍ヶ谷の曹洞宗・龍穏寺の末寺で、寛文年間(1661~1673)に龍穏寺第22世・鉄心御州禅師が開山しました。
その後、宗派を変えたりしましたが、龍穏寺第48世・天産慧苗禅師が中興開山し、多くの名僧を輩出しています。
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福禄寿・・・最勝寺
福禄寿(ふくろくじゅ)は、道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福、封禄、長寿の三徳を具現化したものとのことである。
宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもあるようである。
福禄寿(ふくろくじん)とも言われている。
青龍山最勝寺は建久4年(1193)、源頼朝公の命によって、児玉雲太夫が創建したといわれています。
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弁財天・・・弘法山
弁才天は(べんざいてん)は、仏教の守護神とのことである。
日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され「弁財天」と表記する場合も多いようである。
本来、仏教の尊格だが、日本では神道の神とも見なされている。
弁天とも言われているようである。
弘法山は高房山とも言い、以前は山頂に浅間神社、中腹に弘法山 観世音、山麓に見正寺があって全山信仰の対象として知られ、特に弘法山観世音が弘法大師の作と伝えられていることから、弘法山とも呼ばれるようになった。
「子育て観音」
現在でも乳房の作り物を奉納し、安産を願う方々の姿が見られます
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大黒天・・・正法寺
大黒天は密教の大黒天、 マハーカーラが元になり出来た密教の神みたいである。
密教の大黒天が元になりできた仏教の天部に属する神であるようです。(本来の仏教では神及び多神を否定しているようであるが、現在でも神や多神を認めない仏教宗派もあるみたいである。)
神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神でのようである。
大慈山正法寺は足利尊氏の開基といわれ、鎌倉・建長寺の末寺として高僧の隠居寺になっていた。死期を悟った高僧は活仏となるため、自ら土中に埋まり入定した。これを物語る入定塔が今も残っている。本堂の脇の閻魔堂には地獄の盟主・閻魔大王像が祀られている。
明治4年には越生で初のの学校が設けられた。正法寺の学校と呼ばれ、明治10年の卒業名簿を刻んだ碑も建てられている。また山門には山岡鉄舟揮毫の額がかけられている。
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恵比寿・・・法恩寺
恵比寿は本来「大漁追福」の漁業の神であったようであるが、時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす、商業や農業の神となったとのことである。
松渓山法恩寺は高僧・行基が東国遊行のおり、金名水・銀名水より立ち上る気を見て大日、釈迦、弥陀、如来、薬師の像をみつけ、天平13年(738)にこれを祀ったのが始まりといわれる。その後荒廃したが文治年間(1185~1190)に源頼朝の命により越生次郎家行によって再興され、源家繁栄の祈祷所となる。その後、天正19年(1591)には徳川家康から寺領20石を賜ることとなった。長い間、密教道場として栄えたが明治34年(1901)に鐘楼と山門を残して焼失。大正12年に本堂を再建した。国指定文化財の釈迦三尊及び阿難迦葉像、高野丹生明神像をはじめ、数多くの宝物、文化財が保存されている。もとは報恩寺と記したが、いつの頃からか法恩寺と記されるようになった。
全体案内図 ルートマップ 詳細できました
という順番で 巡ります。
ちなみに僕の場合は 逆に回りました。自転車で3時間近く 掛かりました。
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越生町観光案内
五大尊つつじ公園 川越七福神めぐり 寄居七福神 小幡七福神めぐり 八溝七福神めぐり
緑の山に囲まれた静かな宿!四季折々の花を楽しめます♪天然鉱泉が自慢!まごころこめたおもてなし。
都心からも気軽に足を伸ばせるウェルサンピア埼玉おごせは、梅の里にゆったりと建っています。
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