鉢形城公園
こんにちは!
訪問ありがとうございます。
今回は 鉢形城公園が 整備されていますので 尋ねて見ました!
鉢形城歴史館から橋を渡って 鉢形城公園に行けるんです。
最近整備されたのかな?前は無かったよね!
今年(2009年3月28日)の 桜は 鉢形城公園で見つけました。
角度を変えて 見てみましょう!
説明看板
鉢形城跡は玉淀を望む景勝・要害の地 戦国期の代表的な平山城で、戦国史の舞台をかざった関東屈指の名城です。
『新編武蔵風土記稿』では源経基によって築城され、その後畠山重忠が在城したとされていますが、城郭の構造や史料からは文明8年(1476)6月に長尾景春が築いたとする説が最も有力と考えられています。
その後、上杉顕定や古河公方足利政氏の弟である上杉顕実が城主となりますが、小田原の北条氏の勢力が武蔵に浸透し上杉氏は一掃されます。永禄初年ころには北条氏邦が入城して大規模な改修工事が行われ、その勢力範囲を拡大していきました。
(上の画像は拡大できます)
しかし、豊臣秀吉の天下統一が進み、天正18年(1590)の小田原征伐に伴って鉢形城も大軍に攻められ、6月14日に落城しました。
鉢形城は本丸を中心に二の丸・三の丸・諏訪曲輪・秩父曲輪・外曲輪などが造られ、ぞれぞれ土塁と堀によって区切られています。また、周囲には小規模ながら城下町が形成され、諏訪神社の南が「大手」、正喜橋周辺が「搦手(からめて)」になっています。鉢形城は保存状況も良く、規模的にも北武蔵一を誇る城郭です。
面積は約24万平方メートルと広大で全域の公有化にはまだ時間が必要です。現在は発掘調査を実施して、歴史的事実に基づいた城郭の復元整備を計画していますが、本格的な整備がされるまでのあいだ草花を植えたり、遊歩道を設けるなど暫定的な整備を行っています。
天文十五(1546)年の河越夜戦で上杉氏が北条氏に大敗すると、武蔵の土豪は次々に北条氏に帰順した。天神山城主・藤田重利(康邦)は北条氏康の三男・氏邦を養子に迎え、自らは用土城に隠居した。
永禄十二(1569)年、武田信玄が小田原城攻撃のため上州から侵攻してきた際に鉢形城も攻められたが、守りが堅いのを見た信玄はそのまま南下して滝山城に向かった。とかいろんな方が攻め込んで来たみたいです。
最後はこの人
天正十八(1590)年の小田原の役では、北条氏邦は出撃論を主張したが、籠城策がとられることになり、氏邦は鉢形城に戻り三千の守備兵を固めた。五月十三日、前田利家、上杉景勝らの北国軍が鉢形城の攻撃を開始、本多忠勝らが車山から大砲を撃ち込み、城内の被害が甚大であったことから六月十四日、鉢形城は開城した。氏邦の身分は前田利家に預けられた。鉢形城はこれを最後に廃城となった。
この辺りに行くと駐車場がすぐ解ります。
ユックリと散策を楽しんで 歴史浪漫に浸って下さい!
埼玉・群馬の戦国時代
鉢形城歴史館 鉢形城公園 少林寺五百羅漢 川の博物館 花園御嶽城 秩父高原牧場 金讃神社 嵐山史跡の博物館
旅の記事はブログテーマの一覧から見てください。
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今回は 鉢形城公園が 整備されていますので 尋ねて見ました!
鉢形城歴史館から橋を渡って 鉢形城公園に行けるんです。
最近整備されたのかな?前は無かったよね!
今年(2009年3月28日)の 桜は 鉢形城公園で見つけました。
角度を変えて 見てみましょう!
説明看板
鉢形城跡は玉淀を望む景勝・要害の地 戦国期の代表的な平山城で、戦国史の舞台をかざった関東屈指の名城です。
『新編武蔵風土記稿』では源経基によって築城され、その後畠山重忠が在城したとされていますが、城郭の構造や史料からは文明8年(1476)6月に長尾景春が築いたとする説が最も有力と考えられています。
その後、上杉顕定や古河公方足利政氏の弟である上杉顕実が城主となりますが、小田原の北条氏の勢力が武蔵に浸透し上杉氏は一掃されます。永禄初年ころには北条氏邦が入城して大規模な改修工事が行われ、その勢力範囲を拡大していきました。
(上の画像は拡大できます)
しかし、豊臣秀吉の天下統一が進み、天正18年(1590)の小田原征伐に伴って鉢形城も大軍に攻められ、6月14日に落城しました。
鉢形城は本丸を中心に二の丸・三の丸・諏訪曲輪・秩父曲輪・外曲輪などが造られ、ぞれぞれ土塁と堀によって区切られています。また、周囲には小規模ながら城下町が形成され、諏訪神社の南が「大手」、正喜橋周辺が「搦手(からめて)」になっています。鉢形城は保存状況も良く、規模的にも北武蔵一を誇る城郭です。
面積は約24万平方メートルと広大で全域の公有化にはまだ時間が必要です。現在は発掘調査を実施して、歴史的事実に基づいた城郭の復元整備を計画していますが、本格的な整備がされるまでのあいだ草花を植えたり、遊歩道を設けるなど暫定的な整備を行っています。
天文十五(1546)年の河越夜戦で上杉氏が北条氏に大敗すると、武蔵の土豪は次々に北条氏に帰順した。天神山城主・藤田重利(康邦)は北条氏康の三男・氏邦を養子に迎え、自らは用土城に隠居した。
永禄十二(1569)年、武田信玄が小田原城攻撃のため上州から侵攻してきた際に鉢形城も攻められたが、守りが堅いのを見た信玄はそのまま南下して滝山城に向かった。とかいろんな方が攻め込んで来たみたいです。
最後はこの人
天正十八(1590)年の小田原の役では、北条氏邦は出撃論を主張したが、籠城策がとられることになり、氏邦は鉢形城に戻り三千の守備兵を固めた。五月十三日、前田利家、上杉景勝らの北国軍が鉢形城の攻撃を開始、本多忠勝らが車山から大砲を撃ち込み、城内の被害が甚大であったことから六月十四日、鉢形城は開城した。氏邦の身分は前田利家に預けられた。鉢形城はこれを最後に廃城となった。
この辺りに行くと駐車場がすぐ解ります。
ユックリと散策を楽しんで 歴史浪漫に浸って下さい!
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