伊賀上野城 (伊賀市)

こんにちは!
今回も訪問いただきありがとうございます。
今回からは 紹介のステージが大きく変化しています。(埼玉を出てしまいました)
まずは 最初の一発目は 三重県伊賀市の 伊賀上野城の紹介です!
伊賀上野城は上野盆地の中央辺りにある上野台地の北部の丘の上にあります。
北畠信雄の家臣である滝川雄利が平楽寺の跡に砦を築き、その後1585年(天正13年) に筒井定次によって改修を受け、1611年(慶長16年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の役によって、当時高虎が従属する徳川家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。
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慶長13年(1608)8月、徳川家康は信任厚い 藤堂高虎に、伊賀の国10萬石・伊勢の内10萬石 、伊予の内2万石合わせて22萬石を与えた。 高虎が伊賀、伊勢に移封されたのは、家康の信任が厚かったのと、築城の名手でもあり、来るべく大坂との決戦に備えたもので、筒井定次の城は、大坂城の出城として大坂を守る形をとっていたのに対し、高虎の城は、大坂を攻撃するための城と全 く逆の立場の城として、慶長16年(1611)正月、 上野城を有事の根城として本丸を西に拡張、高さ 約30メートルという高石垣をめぐらして南を大手と した。
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慶長19年(1614)の大坂冬の陣、元和元年(1615)の夏の陣と家康方の勝利に終わり、幕府は諸大名に城普請を厳しく禁止したので、上野城の天守閣が再建されることがなく、一国一城制では上野城は伊賀の国の城として認められた。 その後、10萬石の加増をうけて、32萬3千950石余の大藩として明治まで城代を置いて存続した。
藤堂高虎により築城され、現在は当時の内堀と石垣、昭和10年に建てられた天守閣が残っている。
1935年(昭和10年)、衆議院議員であった川崎克の私財により天守が再建される。(こんな凄い議員さん今ははいないよね!おかげで僕は見学出来るわけです)
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明治13年(1880)上野町車坂町に生まれる。明治34年日本法律学校(日本大学前身)を卒業して、 その年尾崎行雄(号咢堂)の秘書となる。
 大正4年(1915)三重県より衆議院議員に初当選、これより11回当選従四位勲二等に除せられる。克氏はその生涯を通じて特に史跡保存、自然保護に熱烈たる至情を傾けていた。 特に俳聖松尾芭蕉翁にたいする敬仰の念は誠にに甚深をきわめた。
  このことは後、上野城天守閣復興に際し資金調達にすべての愛蔵品を手放したにもかかわらず、芭蕉翁に関するものは手放さずに守り続けた。(こんな方でした)
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3層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙46点の天井絵がある。
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尾崎行雄や近衛文麿を始めとする政治家や高浜虚子や横山大観などの文化人。錚々たる面々。川崎氏の顔の広さを象徴する天井絵です!
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1608年(慶長13年)、徳川家康の命により改易され。その後伊予・宇和島から築城の名手とされる藤堂高虎の持ち城(本拠地は伊勢国・津城)となり、城の大改修が行われた。
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忍び井戸
「大阪城の攻略が不首尾に終わったときは上野城に籠城する」という密命を徳川家康からうけた藤堂高虎は、家臣の西島八兵衛尉之友に命じて城の縄張りとこの井戸を手がけたとのことです。深さ五十間の深井戸で、この井戸からは縦横に抜け穴もつくられました。これが、忍び井戸とよばれるゆえんです。秘密を守るために小天守に忍者を常駐させて、井戸の監視に当たり、藩士でさえ覗くことを許されませんでした。
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日本有数の高さを誇る内堀の石垣もぜひ見て欲しい。
高石垣
天守閣の西側にある高石垣です。高さは28メートルで大阪城に次いで二番目の高さという説と 日本一高いといわれる高さ15間の高石垣と説明されているものがあります。(大阪城か上野城??どちらにしても 藤堂高虎作ですが)
どちらにしろ その景観はとても見事なものです。
豊臣討伐に備えて堀を深く、石垣も高くし、南に二ノ丸を構築した。天守の位置を西側に移動し、今治城天守を移築しようとしたが、天下普請となった丹波亀山城に献上したため新規に5層天守を建設した。しかし竣工をひかえた1612年(慶長17年)に嵐のため天守は倒壊しその後、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなったのに加え、武家諸法度による新規築城や改修の規制により江戸時代を通じて再建されることはなかった。
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また、上野市の郷土資料を展示。市の指定文化財である。
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1825年(文政8年)藤堂高猷が最後の城主となる。
伊賀上野公園の駐車場に車を止めて見学するようです。
満車時はだんじり会館の方に止めます。
伊賀市観光協会
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それでは皆さんも芭蕉の生まれた伊賀でワビ、サビを 体験しましょう!

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この記事へのコメント

デメリ
2009年05月17日 15:46
石垣の高さにびっくりですネ。
2009年05月21日 19:50
コメントありがとうございます。
ここは必見でしょう!高いうえに柵がありません。
ぎりぎりで覗くことができますよ!皆さんの度胸しだいですが・・・・!?

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