水口岡山城

こんにちは!
訪問いただき 誠にありがとうございます。
今回も まだ甲賀市 (観光協会)にいますよ、そして水口町です。(太字リンクついています)
水口岡山城に 行って見ましょう!
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古城山は水口の東北部にある標高283mの美しい山で、眼下に野洲川を見下ろし、鈴鹿の山並を眺望できます。
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地形を生かして戦国時代には地域の要所として岡山城が築かれたことから、古城山という名が付けられました。
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名残りは中腹にわずかに石垣を残すのみとなっています、やはり 山城は冬に行った方が良さそうです!
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石垣見学コースに なっていましたが 今は道なき道を行くようでした。
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途中で行くべきか 戻るべきか 自問自答をする自分がいました。
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展望広場での一枚です。
水口岡山城は、天正13年に中村一氏が築城した。 豊臣秀吉は、京への入り口の守護と伊勢・伊賀・美濃・北陸への押さえとして、水口の地を重視していた。 そのため城主には、一氏の後、豊臣政権の中枢の増田長盛、長束正家が城主として入城している。
秀吉死後、慶長5年(1600)に関ヶ原戦いが起こると、長束正家は西軍に属したことで池田長吉らに攻められて水口岡山城は落城した。
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上には社がありました。
秀吉が、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで織田信雄,徳川家康連合軍と和睦に持ちこんだものの、遠江から三河を領する徳川家康への牽制、および水口の地に城を築くことで東海道を押さえることを目的として築いたこと思われる。
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城址は近年、城址公園として整備され・・とはありますがあまり訪れる人もなさそうです。
寛永11年(1634)、徳川家康が水口の地に新たに城(将軍家御茶屋御殿)を築き、水口城と称した。この時、水口城を築城するにあたって水口岡山城の石垣を石材として利用したとも伝えられる。
水口城が築城なった時点で、水口岡山城は廃城となったと考えられる。
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途中には小さな公園がありましたが 誰が利用するんでしょうか?
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これは 西国ミニ三十三ヵ所めぐりでしょうかね!(検索しても出てきませんでした)
駐車場の場所を確認しましょう。




ポイントの場所が 観光用の駐車場ですね。城跡の方に道はありますが 車止めがあり車両進入禁止です!
城跡に上がる道の案内がないので大変でした。
階段の遊歩道を上に上がって行けばいいんですけどね。
道を歩いていると グルグル遠回りに 城山中学校の方まで行ってしまいますよ!
【水口・土山グルメ&ショッピング】
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水口お散歩マップ(PDFファイル)
旅の参考に!
甲賀市観光協会  水口観光協会
それでは皆さんも 水口町を尋ねて見ませんか?
水口城  水口城資料館  水口歴史民族資料館  大岡寺  道の駅あいの土山  鈴鹿峠を越えて道の駅関宿
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