名張藤堂家邸跡 (名張市)

こんにちは!
訪問ありがとうございます。久しぶりのアップになりました。
今回は三重県の名張市の藤堂家邸跡に 行って見ました。
画像

名張藤堂家は、江戸時代の藤堂氏の一門。代々宮内を称し、藤堂宮内家ともいう。藤堂高虎の養子・藤堂高吉を祖とする。
画像

高虎は実子に恵まれなかったため、養子として迎えた高吉を後継者にしようと考えていたが、慶長6年(1601年)に高虎に実子・藤堂高次が生まれると、その話も消滅する。伊予国今治城主(高虎の城代)となっていた高吉は、寛永7年(1630年)、養父高虎の死後、実子の高次の家臣として仕えるようになる。寛永9年(1632年)、松平定房が今治へ移封されることとなったため、伊勢国へ2万石の移封となった。
画像

しかしその後、寛永13年(1636年)、高次の命により更に伊賀国名張に移封された。次男以下3名に5000石を分知し、15000石となった。高次は高吉の存在を危険視したとされ(江戸幕府に高吉を藤堂本家から独立した大名に取り立てようという動きがあったためといわれる)、名張移封も高吉に対する高次の冷遇の一環であったといわれる。その後、享保年間まで名張藤堂氏と本家との対立は続いた。
かわいそうな 運命だったんですね!
画像

高吉は、名張の高台の旧領主の筒井氏の家臣邸跡地に陣屋を構え、商人、職人も城下に居住させせ、名張の町の発展の礎を築いた。当初の屋敷は、3代長源の代の宝永7年(1710年)の名張大火で焼けてしまい、現存するものは再建されたものであり、明治元年にその大部分が破却されたが、一部は居住部分を中心に残る。上級武士の屋敷として、生活の場が残されていて、全国的に珍しく貴重な存在となっている。
画像

名張藤堂家に伝わった調度品をはじめ武具、典籍、文書など展示し入場者に近世上級武家の生活の一部を一端に触れられるよう公開しています。
画像

これは 詳しい記事かアルバムを作らないと 紹介しきれないかな?!
(時間があれば作りたいとおもいます。)
画像

この引き戸は普段は開けてあるので片側の絵しか見ることが無いんですが、僕が閉めてもらって撮影することができました。
地元の方も初めて見るかも?
それでは 場所を確認しましょう。




車は 隣の市史編さん室に止めて見ることが出来ます。
旅の参考に
名張市観光協会
グルメ
ビーフレストラン 金谷桔梗が丘店  あみやき亭 名張店  プラーナ  三太夫  A Tables Esprit   中国料理 絹道  ジャハンギール  irie cafe' Cockoo   櫓門 名張店  パンロード  奥田  ビッグボーイ 名張店  イングルサイドカフェ  ラ・シルフィード  かみ六
それでは 皆さんいってらっしゃい!
旅の記事はブログテーマの一覧から見てください。
最後に名張の記事一覧  名張藤堂家邸跡  藤堂家庭  藤堂家内部  太鼓門散策路  名張散歩1  やなせ宿  ひやわい  江戸川乱歩生誕地  青蓮寺湖  赤目四十八滝  秋の赤目四十八滝  秋の四十八滝2  へこきまんじゅう  サンショウウオセンター  名張の切り絵  夏見廃寺展示館  夏見廃寺跡

名張の宿
名張シティホテル  ビジネスホテル栄  ホテル ルートイン名張  亀の井イン三重名張  赤目温泉 隠れの湯 対泉閣  滝本屋  赤目温泉 山の湯 湯元赤目 山水園  青蓮寺レークホテル

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 福岡市 ブライダルエステ

    Excerpt: ブライダルエステ人気口コミランキング:ブライダルエステ専門エステサイト。ブライダル前にはエステ、 ブライダルシェービングエステをしてきれいになりましょう。ブライダルエステの情報が盛沢山です。 Weblog: ブライダルエステ racked: 2011-11-10 20:00