櫛引八幡宮 八戸市

こんにちは!
訪問ありがとうございます。八戸市の記事も櫛引八幡宮で最後となります。
立ち寄れなかった場所には申し訳なく思っています、なにせ限られた時間で回って行きますのでどうしても急ぎ足になってしまいました。
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櫛引八幡宮は、鎌倉時代より南部藩(青森県南部・岩手県北部)の総鎮守として、多くの人々に尊崇されてきました。また、所蔵の国宝・赤糸威鎧をはじめとした宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となっております。
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ここの狛犬ってこれ??(そんな事ないですよね)
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ちゃんとこちらにいました。一安心?!
櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝えられ南部家文書(八戸根城南部家・『八戸家系』、『八戸家傳記』)によると、 文治5年平泉合戦(1189年)に戦功をたてた光行公は源頼朝から糠部郡(ぬかのぶのこおり、 岩手県北部・青森県東部の広大な地域)を拝領し建久2年(1191年)に入部、 後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持せしめ、霊地をトして櫛引村に 宮社を造営し武運長久を祈ったという。
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『櫛引八幡縁起』には、櫛引村に大同年間(806~810)に坂上田村麻呂が祀った 八幡宮の小社があり、同神同体であるので瀧ノ沢の仮宮からこの地に遷座したとある。
本殿はこの奥にある。
「南部一之宮」にふさわしく、当時の規矩にかなった正規の構造手法が認められるものであり、その構えは壮大でかつ優美であり、屋根の流れの曲線の美しさは特筆に値する。江戸時代前期のものであるが、桃山時代の遺風が察しられる名建築である。
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以後、 櫛引八幡宮と称し、南部の総鎮守となったのである。
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長所(旧拝殿)
舟肘木に一軒の疎垂木という簡素な造りの拝殿ではあったが、本殿に対しても建て揚げが低く落ち着いた感じで、開口部の風土性豊かな構造ともあいまって、実に、好感のもてる建物であった。移築後も旧姿をよくとどめており、本殿と一体のものとしてあった時の形が偲ばれるものである。
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今度はカラーで出現ですか?
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国宝 赤糸 威 鎧兜大袖付 附唐櫃ほか重要文化財・県重宝・市文化財など計25点の文化財を収蔵・展示しております。
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入り口では 甲冑の着用体験ができました。(内部は撮影禁止です)
ここで思ったのですが 甲冑と合わせて 女性用の平安衣装を置いたらどうでしょう!
女性の方が受けると思います。武者行列とか大門坂行っておもいました。
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明治12年(1879)11月に立柱式を挙げ、明治14年(1882)8月に完成した八戸小学講堂は、県内に現存する洋風建築では最古のものである。
校舎が完成した明治14年8月に明治天皇の東北御巡幸があり、行在所として用いられた。昭和4年には「八戸市図書館」として使用され、後の昭和37年に櫛引八幡宮境内に移築され「明治記念館」として現在に至る。
明治天皇沢山回ってあるいたんですね!色々なところで足跡に出会います!
それでは 場所を確認しましょう。




周辺をクリックして拡大すれば解りますが 駐車場は参道の脇に止めます。
櫛引八幡宮ホームページ (詳しく載っています)
八戸の皆さんありがとうございました。無事に回ることができました。
それでは皆さん八戸にいってらっしゃい!
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旅の参考に
八戸市観光情報局

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