福沢桃介記念館

こんにちは!  
訪問ありがとうございます。今回は中山道の木曽路を旅してみましょう!
僕が男として最も好きな記事を作りますよ!
電力王福沢桃介が読書ダム建設の為拠点として建てた別荘で 愛人川上貞奴を始め、発電所建設の写真や資料、桃介橋の設計図などを展示しています。
男に生まれたからには これぐらい出来ないと生きてる意味が無いと・・・・思いつつあ~あ情けない人生!
このように粋な人生を生きた人もいました。
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見た目少し引いてしまいますが 桃介凄い男です。 
「一河川一会社主義」を掲げて木曽川の電源開発に乗り出した電力王・福沢桃介(ももすけ)は、木曽における基地として風光明媚なこの地に大正8年別荘を建て、ここから読書や大井などの発電所建設現場に足を運びました。
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中にはちょっと違うかなと思うような木地師の素晴らしい作品がありました。
その桃介を助け、よきパートナーであったのが、わが国女優第一号といわれる川上貞奴(さだやっこ)でした。
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二人は、大井川発電所が完成する大正13年まで頻繁にこの別荘に滞在し、政財界の実力者や外国人技師などを招いては、華やかな宴を催したということです。
男と女のバランス絶妙ですね!(これがアゲマンですかね)
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山深いこの地にあって、この別荘だけは西洋の香が漂う異国だったのです。
大正時代の貴重な西洋風別荘建築としても知られているこの記念館に一歩足を踏み入れると、桃介と貞奴が過ごした大正ロマネスク時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。
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2人の写真や遺品、資料も展示しています。
福沢桃介は、明治元年(1868年)6月25日埼玉県吉見町(生誕の地記事)で生まれ、幼少の頃埼玉県川越市に一家で移住しています。慶応義塾に入塾したのが縁で、天性の明敏かつ努力家の桃介は福沢諭吉に見込まれ養子となり、アメリカに留学しています。明治40年代から名古屋を中心とする実業界で活躍し、幾多の事業を手掛けています。
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電気事業に関係するようになったのは明治41年からで、木曽川水力発電の開発に特に情熱を注ぎました。大正8年に賤母発電所を築き、大正12年の読書発電所竢工の頃が彼の絶頂期だと言えます。電力王とも呼ばれ、日本近代産業の振興に大きな足跡を残し、昭和13年(1938年)2月15日に69才の生涯を閉じました。
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川上貞奴は東京に生まれ、長ずるに及んで芸姑となり、明治顕官らの贔屓(ひいき)を受けましたが、明治23年に川上音二郎と結婚し、以後、新派演劇の発展に尽力しました。日本で最初の女優とうたわれました。
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西洋的ですね!大正時代現代の生活をしていたんだす。
 桃介は、木曽川水系に多くの発電所を建設しましたが、その現地の宿舎として、風光明媚な三留野の地に別荘をもうけ現場の指導にあたりました。その際、しばしば貞奴を伴って、避暑のために長期逗留しました。貞奴が三留野駅(現南木曽駅)に降り立つたびに、高名な女優を一目見ようと、黒山の人だかりだったといいます。
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電力王桃介と女優貞奴のロマンスは、当時地元の人々の間でも注目の的であったことがうかがわれます。
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俺も何とかならんかと思いましたが 桃介大金持ちになっていて足元にも及ばないことが解りました。
病気療養中に株で大儲けしてのし上がったみたいです!
とりあえず 僕の人生で今日が一番若い日ですから望みを捨てずにがんばります。
僕だけの貞奴いませんかね!その前に金持ちになっていないので 不可能ですね!
貞奴がいなくても独りで旅を続けます。明日からも変わることもなく!
駐車場は天白公園になります。




このあたりに駐車場があります。公園の駐車場ですから無料でした。
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日本最大級の木製の吊り橋 桃介橋
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