斉藤別当実盛像 妻沼
こんにちは!
訪問ありがとうございます。今回は斉藤実盛を訪ねて見ました。
斎藤 実盛 - 寿永2年6月1日は平安時代末期の武将。藤原利仁の流れを汲む斎藤実直の子。越前国の出で、武蔵国幡羅郡長井庄(埼玉県熊谷市)を本拠とし、長井別当と呼ばれる。
武蔵国は、相模国を本拠とする源義朝と、上野国に進出してきたその弟・義賢という両勢力の緩衝地帯であった。実盛は始め義朝に従っていたが、やがて地政学的な判断から義賢の幕下に伺候するようになる。こうした武蔵衆の動きを危険視した義朝の子・源義平は、久寿2年(1155年)に義賢を急襲してこれを討ち取ってしまう(大蔵合戦)。
嵐山の大蔵館から木曽義仲は実盛に救われるのです!
実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻るが、一方で義賢に対する旧恩も忘れておらず、義賢の遺児・駒王丸を畠山重能から預かり、信濃国の中原兼遠のもとに送り届けた。この駒王丸こそが後の旭将軍木曾義仲である。
幼い義仲は妻沼の実盛に助けられるのです。
保元の乱、平治の乱においては上洛し、義朝の忠実な部将として奮戦する。義朝が滅亡した後は、関東に無事に落ち延び、その後平氏に仕え、東国における歴戦の有力武将として重用される。そのため、治承4年(1180年)に義朝の子・源頼朝が挙兵しても平氏方にとどまり、平維盛の後見役として頼朝追討に出陣する。平氏軍は富士川の戦いにおいて頼朝に大敗を喫するが、これは実盛が東国武士の勇猛さを説いたところ維盛以下味方の武将が過剰な恐怖心を抱いてしまい、その結果水鳥の羽音を夜襲と勘違いしてしまったことによるという。
寿永2年(1183年)、再び維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られた。
この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。
戦国時代難しすぎて解りませんが旅の途中で少しずつ勉強しましょう!?
実盛像の場所を確認しましょう。
ここは駐車場があちこちにあります。僕のように松本医院に行かないようにしましょう。
バスの転回場の反対側の奥に近い駐車場があります。
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実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻るが、一方で義賢に対する旧恩も忘れておらず、義賢の遺児・駒王丸を畠山重能から預かり、信濃国の中原兼遠のもとに送り届けた。この駒王丸こそが後の旭将軍木曾義仲である。
幼い義仲は妻沼の実盛に助けられるのです。
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寿永2年(1183年)、再び維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られた。
この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。
戦国時代難しすぎて解りませんが旅の途中で少しずつ勉強しましょう!?
実盛像の場所を確認しましょう。
ここは駐車場があちこちにあります。僕のように松本医院に行かないようにしましょう。
バスの転回場の反対側の奥に近い駐車場があります。
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この記事へのコメント
またおじゃましています。
先週の事、BF(おじさんです。ちなみに私おばさんです)と東上線で嵐山付近を通りながら、「義仲は嵐山の生まれ」と岡ポンさまの受け売りをしたところ、BFは詳しくて、斉藤別当の話をうんちく。坂東武士は人間味がありますね。
今日は岡ポンさまの写真と文章で、さらに興味深く知ることができました!
訪問ありがとうございます。
僕も実盛が気になっていて今回めでたく会うことが出来ました。写真ですが駒王丸が預けられる場面は宮ノ越の義仲館の物です。像は聖天山という実盛が祀った神社にあります。これからアップしますが凄い神社でした。
右手に髪を染めた筆を持ち、左の鏡におのがさまを見る。鏡のなかに去来するものを噛みしめているようで。この像、来てよかった!うちの1つです。
そこまでは僕は察知していませんでした。
かつて助けた義仲との戦いを前に、男が覚悟を決めた姿だったんですね!又小松に行きたくなってしまいました。