中禅寺湖展望台

こんにちは!
訪問いただきありがとうございます。関東地方昨日はとっても暑かったですね!その暑い館林を通り(高速代もったいないので下道で)日光市中禅寺湖に行ってきました。
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2万年前に男体山の噴火でできた堰止湖。人造湖を除く広さ4km2以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖である。
いろは坂を登り中禅寺湖について通りすぎようとした時左に半月山展望台の看板が見えました。
もっと涼しいかなと思って、(湖畔は26度ぐらいでした)行くことにしました。
発見は天応-てんおう-2年。日光開山の祖、勝道上人-しょうどうしょうにん-が男体山の登頂に成功したとき、山の上から湖の存在を見つけた。
2年後には勝道上人一行が、湖畔に堂を造り、山岳信仰の修験者たちが訪れ、中世から近世にかけては修験道が隆盛し、男体禅頂も盛んに繰り返された。
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しかし豊臣秀吉の日光山領没収によって、一時衰微する。
再び活性化されるのは、天海大僧正の来晃(らいこう)と東照宮造替の後。寛保元(1741)年に行人-ぎょうにん-(禅頂をする人)利用のための茶屋の営業が許可され、文化元(1804)年には湖畔に六軒茶屋ができた。
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明治5(1872)年に女人牛馬禁制-にょにんぎゅうばきんせい-が解かれてからである。
明治に入るまで女性がいなかったため、中禅寺で出産が初めて記録されているのは、明治17(1884)年だった。
明治9(1876)年に明治天皇が来晃され、中禅寺湖を“幸の湖-さちのうみ-”と名づけている。
中禅寺湖周辺をリゾート地として育てていったのは外国人である。
欧米各国の外交官たちが避暑に訪れるようになり、湖畔に別荘を建てていった。現在でもフランスやベルギーなど4か国の大使館別荘が、湖畔にたたずんでいる。
中禅寺湖周辺はハイクラスな人が集まる華やかなリゾート地として、その地位を確立していった。
戦後の観光地としての復活は、昭和29(1954)年のいろは坂有料道路開通など道路網の整備によるところが大きい。風光明媚-ふうこうめいび-かつ手軽にアプローチできる観光地として、現在の姿に至っている。
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このような歴史があるそうです。
僕が写真を撮ったのはここで半月山展望台ではなく、中禅寺湖展望台の方でした。
場所を確認




最後まで行かないでここで満足して帰りました。
昔は土産物店があったんでしょうが今は廃墟になっています。トイレも無かった気がします!
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皆さんも足を延ばして行ってみませんか?
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