冬の城山公園 三戸城

こんにちは!
訪問いただきありがとうございます。
今回は三戸町城山公園を訪ねてみました。
城山公園は県立城山公園として、これまで多くの人びとの憩いの場として親しまれています。
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源頼朝の奥州合戦に参加した功績により糠部郡を賜った南部三郎光行(南部藩初代)が、平泉の藤原氏追討の際の軍功によりこの地を下賜され、1191年(建久2)に現在の南部町相内地区に入部したという伝承があります。
 翌年、平良ヶ崎城を築城し、その後各地に城館を築き、南部氏本宗家の中心的居城である聖寿寺館が焼失するまでの約350年間、南部氏は南部町を中心に領内を治めたとされています。
居城としていた聖寿寺館(現南部町)を焼失し、この高台へ城を移して三戸城としました。
三戸南部氏が勢力を拡大し続け、肥大化した組織の統制をはかる根城が必要となったため、当城へ居を移したとする見方もある。
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天正18年(1590年)に小田原の役へ参陣した信直は豊臣秀吉朱印状により、領内支配(南部内七郡=現在の下北半島から岩手県北上市のあたり)を認められた。なお、この朱印状の条文には、領内諸城の破却(破壊)が命じられているが、これに信直家臣の妻子を三戸へ住まわせるよう命じた文言が続く。このことから、三戸城が南部氏の居城となったと考えられる。
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温古館側の糠部神社に初詣!
九戸一揆平定後、奥州仕置軍を率いた蒲生氏郷らにより、三戸城は近世城館のシンボルといえる石垣を持った城へと普請される。その際に本丸に三層三階の御三階櫓が上げられたと考えられている。
その後南部氏の居城は福岡城、盛岡城へと移っていきますが、三戸城は城代や代官が置かれ、大切にされてきました。
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800PXまで拡大出来ます。
ここぞまさしく南部藩発祥の場所なんですね!
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公園内には、南部氏の歴史資料を展示している天守閣風の建物三戸城温故館のほか、縄文時代から近代までの三戸町の歴史資料を展示している三戸町立歴史民俗資料館が開設されています。
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観光の看板 ちょっと新しく造り変えた方がよさそうですよ!
よく解りません!
youtube動画
三戸城山公園(桜)
場所を確認しましょう。




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  • 北へ向かって4 安比~十和田~三戸~安比

    Excerpt: こんにちは! 今日の一曲 吉田拓郎 元気です(youtubeにリンクしますがリンク拒否や削除される場合があります) 訪問いただきありがとうございます。今回は安比高原を拠点に観光をしてきましょう。 太字.. Weblog: いきあたりばったり! racked: 2012-01-25 10:08