惣社河岸

こんにちは!
久々に 奥の細道ネタです。
車で巡る奥の細道
栃木市の室の八島の近くにある 芭蕉が思川を渡ったとされる場所に行ってみました。
室の八島の記事にいただいたコメントのおかげです!
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小クラ川<小倉川。現思川>)川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。
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日光街道を喜沢で左に折れ壬生通に入る。
現在の三拝河岸地区で姿川を渡る。 飯塚宿の南詰で左に折れる。
思川の川原を行き、惣社河岸付近で思川を渡る。
惣社河岸の上手から左に折れ、5町(約545m)ほど歩いて室の八島に到着。
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡では このように解釈されていました。
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川は 向こうなんですが ずいぶん離れていますね。
ちょっと 川まで行って見ましょう。
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川までやってきましたこのあたりを 芭蕉は渡ったんでしょうか?
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下流の方向を撮ってみました。
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近くには グラウンドがあり 野球をしていました。
車も置ける場所がありました。
鮎釣りが始まると釣り人が沢山来るのかな?
場所を確認しましょう。




ここの場所に 惣社河岸の碑が立っています。
去年 栃木刑務所の先を 土手に沿って下流に行ってしまったんですね!
今回で確定出来ました。
近くの記事
室の八島  栃木
皆さんも 訪ねてみませんか?


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この記事へのコメント

八島 守
2012年03月23日 18:52
「惣社河岸」について

[曾良の旅日記]の正しい文には「川原ヲ通リ、川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、(傍注:乾ノ方五町バカリ、毛武ト云村アリ。)」

つまり、惣社河岸の上あたりで村人に室の八島の場所を訊ねたら、村人が言うには「ここから北西方向、500mほど行った所に毛武ト云村がありますが、そこが室の八島の場所です」ということであった。(癸生村とは、当時の下野国の人たちが信じていた室の八島の場所です)

この[曾良の旅日記]の文から、惣社河岸の在った場所は「惣社河岸」の記念碑の場所より、約1kmほど上流側にあったと考えられます。
八島 守
2012年03月23日 19:10
「惣社河岸」の記念碑の場所について

「ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。」
このような[曾良の旅日記]の誤った紹介文に従うと、距離は500mでなく、約1kmありますが、大神神社の南東方向、「惣社河岸」の記念碑のある辺りに惣社河岸が有ったことになります。
八島 守
2012年03月23日 21:07
「惣社河岸」の場所について

それで今(2012.03.23)、栃木市教育委員会文化課にメールして、「惣社河岸」の記念碑の場所辺りに惣社河岸が在ったという根拠は何ですかと質問しています。
2012年03月25日 03:08
こんばんわ!
コメントをありがとうございます!が・・・
貴方の思いは解りますが、歴史ロマンですからある程度妥協して栃木市を盛り上げて行きませんか?

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