九頭竜湖
こんにちは!
訪問いただきありがとうございます。
岐阜県を通りぬけ福井県にやってきました。今回は大野市の九頭竜湖に出てきました。
画像は拡大出来ます。
高さ128メートルのロックフィルダムで、洪水調節・発電を目的とする、国土交通省・電源開発(Jパワー)共同管理の多目的ダム(兼用工作物)である。
ダム湖(人造湖)の名は九頭竜湖(くずりゅうこ)という。
最近の話題では・・・?5月ごろにニュースに出てきましたね!
少し古い話は パナウェーブ研究所 知っています。2003年の4月から5月にかけて活動がワイドショーなどで大きく取り扱われ、一時的に有名になった。
埼玉にある九頭竜さまは関係あるのかな?
九頭竜川は、福井県と岐阜県との境・油坂峠に端を発し、大野盆地・勝山盆地を経て福井平野を形成し、日本海へと注ぐ河川である。
流域は降水量が多く、冬は豪雪であり、河川流量も豊富にある。しかし、九頭竜川上流部における開発は長らく実現を見ずにいた。当地が僻地であるという地理的要因から、開発のための資材を搬入する手段が見つからなかったのである。
1957年(昭和32年)、北陸電力・電源開発の2社は競合するかたちで開発計画を発表した。前者は有峰ダム開発を、後者は御母衣(みぼろ)ダム開発を一通り終えたのち、次の開発地点として九頭竜川に着目していた。
開発に伴い、和泉村にあった530戸の民家、191ヘクタールの農地、868ヘクタールの森林、81キロメートルの道路が水没することとなった。1962年(昭和37年)、電源開発・北陸電力両社はダム建設に伴う水没補償について、御母衣ダムにおける事例を基に検討した。
しかし、これを和泉村に提出したところ、ことごとく拒否されてしまった。電源開発は御母衣ダムにおける補償基準が最高だと考えていたが、御母衣ダムから現時点までの物価上昇が考慮されていないこと、御母衣ダムよりも標高が低いだけ土地の利用価値は高いはずであることを拒否の理由に挙げた。さらにダム完成後、上流に取り残される集落について対策を検討するよう付け加えた。
電源開発は現地調査所をいったん閉鎖し、補償が決まるまでは着工しないという構えをとった。この手法はのちに九頭竜方式と呼ばれ、同社は以後の開発をもっぱらこの方式にならって行うようになった。
この問題に福井県が調停に乗り出し、交渉が再開される。同年12月、雪深まる和泉村には60名の用地担当者が居残りで職務に就いていた。この冬は70年ぶりの豪雪で、ブルドーザーも使い物にならないほどの積雪を記録したが、担当者たちは人力によって除雪を行った。豪雪の際は家に引きこもるのが当然だった村民にとって、この行動は驚くべきものであった。これが開発への理解を得るきっかけとなったという。
ダム建設予定地の上流には、水没こそ免れるものの、交通が断絶する集落がいくつか存在した。この問題については当事者である現地住民全員が移転の意向を示し、それぞれ希望通りに取りはかられた。
その後の追跡調査の結果、水没世帯の過半数が岐阜県・愛知県といった中京圏へと移転し、福井県内にとどまる例は少なかったことが明らかになった。
このほか、鉱業権の収容が行われた。当地は鉱山が多く、水没地点にも複数の鉱業権が存在した。鉱業権を握る交渉は難航し、やむなく強制収用に踏み切った。また、水面下では政治的な介入も行われ、児玉誉士夫の命を受けた読売新聞の渡邉恒雄が中曽根康弘らとともに、補償交渉を円滑に進めるための資金工作を行っていた。
だがこの工作は失敗に終わり、資金は全額児玉誉士夫から返還されたという。この経緯は鉱山経営を手がける日本産銅の社長だった緒方克行が『権力の陰謀 九頭竜事件をめぐる黒い霧』(現代史出版会)につづっている。
映画に出来そうなくらい 物語がありますね!
池田勇人首相への政治献金を約束した鹿島建設と電源開発、政府が一体となって仕組んだ汚職だとの疑惑が広がり、衆議院決算委員会で田中彰治代議士らが追及した。だが、池田首相の秘書官だった中林恭夫と、決算委員会で証言した元朝日新聞記者、言論時代社主幹の倉地武雄が不自然な死を遂げ、事件はうやむやになった。この経緯は石川達三が『金環蝕』として小説化しており、大映によって映画にもなった。
金に群がる大物政治家の黒い交際、出る出る何人いるんでしょうか?
今でも 同じことやっていると思いますよ!!
皆さん 政治家ってそんなもんですよ!言葉巧みに国民を躍らせて 自分は裏で私腹を肥やすため必死ですよ!埼玉の山口敏夫なんて議員は捕まったっけ?
九頭竜ダムの完成によって誕生した九頭竜湖は面積890ヘクタールと、日本全国有数の広さを持つ。春は「万本桜」、秋は紅葉が美しい。湖に架けられた箱ヶ瀬橋(福井県道230号大谷秋生大野線)は瀬戸大橋の試作として建設された吊り橋で、愛称を夢の架け橋という。
上流には堆砂対策として建設された貯砂ダムがあり、そのダム湖の名は蝶の湖(ちょうのみずうみ)という。和泉村の小学生の投票によって決まったもので、九頭竜川上流の清流が「蝶の水」と呼ばれていることに由来する。周辺にはキャンプ場や散策路などが整備されている。
九頭竜ダム・真名川ダムでは特別仕様のダムカードが配布される。
場所を確認しましょう。

912-0214 福井県大野市長野第33号4番地の1 TEL (0779)78-2116
車はこちらに駐車場があります。マップコード 729 503 279*52
身障者はダムの建物のそばまで行けます。
マナーの悪い方も行っています。
政治家とカネにまつわる話の後は・・・・??そんなブログだったっけ?
福井県ブログ一覧(まだまだ少ないです)
その他の記事はブログテーマの一覧からみて下さい。
恐竜の大野市を訪ねてみませんか?
大野市の宿
福井市美山森林温泉みらくる亭 阿さひ旅館 HOTEL サンレア21 六呂師ハイランドホテル ホテル豊洋 俵屋旅館 国民宿舎 パークホテル九頭竜
リカーショップたかはし

訪問いただきありがとうございます。
岐阜県を通りぬけ福井県にやってきました。今回は大野市の九頭竜湖に出てきました。
画像は拡大出来ます。
高さ128メートルのロックフィルダムで、洪水調節・発電を目的とする、国土交通省・電源開発(Jパワー)共同管理の多目的ダム(兼用工作物)である。
ダム湖(人造湖)の名は九頭竜湖(くずりゅうこ)という。
最近の話題では・・・?5月ごろにニュースに出てきましたね!
少し古い話は パナウェーブ研究所 知っています。2003年の4月から5月にかけて活動がワイドショーなどで大きく取り扱われ、一時的に有名になった。
埼玉にある九頭竜さまは関係あるのかな?
九頭竜川は、福井県と岐阜県との境・油坂峠に端を発し、大野盆地・勝山盆地を経て福井平野を形成し、日本海へと注ぐ河川である。
流域は降水量が多く、冬は豪雪であり、河川流量も豊富にある。しかし、九頭竜川上流部における開発は長らく実現を見ずにいた。当地が僻地であるという地理的要因から、開発のための資材を搬入する手段が見つからなかったのである。
1957年(昭和32年)、北陸電力・電源開発の2社は競合するかたちで開発計画を発表した。前者は有峰ダム開発を、後者は御母衣(みぼろ)ダム開発を一通り終えたのち、次の開発地点として九頭竜川に着目していた。
開発に伴い、和泉村にあった530戸の民家、191ヘクタールの農地、868ヘクタールの森林、81キロメートルの道路が水没することとなった。1962年(昭和37年)、電源開発・北陸電力両社はダム建設に伴う水没補償について、御母衣ダムにおける事例を基に検討した。
しかし、これを和泉村に提出したところ、ことごとく拒否されてしまった。電源開発は御母衣ダムにおける補償基準が最高だと考えていたが、御母衣ダムから現時点までの物価上昇が考慮されていないこと、御母衣ダムよりも標高が低いだけ土地の利用価値は高いはずであることを拒否の理由に挙げた。さらにダム完成後、上流に取り残される集落について対策を検討するよう付け加えた。
電源開発は現地調査所をいったん閉鎖し、補償が決まるまでは着工しないという構えをとった。この手法はのちに九頭竜方式と呼ばれ、同社は以後の開発をもっぱらこの方式にならって行うようになった。
この問題に福井県が調停に乗り出し、交渉が再開される。同年12月、雪深まる和泉村には60名の用地担当者が居残りで職務に就いていた。この冬は70年ぶりの豪雪で、ブルドーザーも使い物にならないほどの積雪を記録したが、担当者たちは人力によって除雪を行った。豪雪の際は家に引きこもるのが当然だった村民にとって、この行動は驚くべきものであった。これが開発への理解を得るきっかけとなったという。
ダム建設予定地の上流には、水没こそ免れるものの、交通が断絶する集落がいくつか存在した。この問題については当事者である現地住民全員が移転の意向を示し、それぞれ希望通りに取りはかられた。
その後の追跡調査の結果、水没世帯の過半数が岐阜県・愛知県といった中京圏へと移転し、福井県内にとどまる例は少なかったことが明らかになった。
このほか、鉱業権の収容が行われた。当地は鉱山が多く、水没地点にも複数の鉱業権が存在した。鉱業権を握る交渉は難航し、やむなく強制収用に踏み切った。また、水面下では政治的な介入も行われ、児玉誉士夫の命を受けた読売新聞の渡邉恒雄が中曽根康弘らとともに、補償交渉を円滑に進めるための資金工作を行っていた。
だがこの工作は失敗に終わり、資金は全額児玉誉士夫から返還されたという。この経緯は鉱山経営を手がける日本産銅の社長だった緒方克行が『権力の陰謀 九頭竜事件をめぐる黒い霧』(現代史出版会)につづっている。
映画に出来そうなくらい 物語がありますね!
池田勇人首相への政治献金を約束した鹿島建設と電源開発、政府が一体となって仕組んだ汚職だとの疑惑が広がり、衆議院決算委員会で田中彰治代議士らが追及した。だが、池田首相の秘書官だった中林恭夫と、決算委員会で証言した元朝日新聞記者、言論時代社主幹の倉地武雄が不自然な死を遂げ、事件はうやむやになった。この経緯は石川達三が『金環蝕』として小説化しており、大映によって映画にもなった。
金に群がる大物政治家の黒い交際、出る出る何人いるんでしょうか?
今でも 同じことやっていると思いますよ!!
皆さん 政治家ってそんなもんですよ!言葉巧みに国民を躍らせて 自分は裏で私腹を肥やすため必死ですよ!埼玉の山口敏夫なんて議員は捕まったっけ?
九頭竜ダムの完成によって誕生した九頭竜湖は面積890ヘクタールと、日本全国有数の広さを持つ。春は「万本桜」、秋は紅葉が美しい。湖に架けられた箱ヶ瀬橋(福井県道230号大谷秋生大野線)は瀬戸大橋の試作として建設された吊り橋で、愛称を夢の架け橋という。
上流には堆砂対策として建設された貯砂ダムがあり、そのダム湖の名は蝶の湖(ちょうのみずうみ)という。和泉村の小学生の投票によって決まったもので、九頭竜川上流の清流が「蝶の水」と呼ばれていることに由来する。周辺にはキャンプ場や散策路などが整備されている。
九頭竜ダム・真名川ダムでは特別仕様のダムカードが配布される。
場所を確認しましょう。
912-0214 福井県大野市長野第33号4番地の1 TEL (0779)78-2116
車はこちらに駐車場があります。マップコード 729 503 279*52
身障者はダムの建物のそばまで行けます。
マナーの悪い方も行っています。
政治家とカネにまつわる話の後は・・・・??そんなブログだったっけ?
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