岩殿観音正法寺の桜2015・2

こんにちは!
訪問いただきありがとうございます。今日は忙しく近場を桜を探して走り回りました。
東松山市の岩殿観音 正法寺に行ってみましょう!
正法寺の記事も写真が多く2つ目になりました。
東松山市HP  東松山市観光協会HP
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ここの正法寺は坂東札所で、古来より信仰を集め、門前市をなしました。戦国時代には武田勢の松山城攻めの時の本陣が置かれたということです。
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田村麻呂はこの岩殿山の観世音に冥助を乞 う祈願をこめたところ、時ならぬに大雪が降り、 そのため山頂より一カ所だけ雪の消えている所を 発見した(峠の名の由来)。これぞ目指す悪龍の いる所と定め、観音さま授けの矢を射って討ちと ったというのである。
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田村麻呂へのこの霊験が聞こえ、延暦十五年 (七九六)宣旨があって堂宇が立派に整ったとい う。『岩殿山縁起』は、この伝承を重視し、多く の字数を費やしている。
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田村麻呂の祈願以前について寺史は、養 老二年 (七一八) 沙門逸海が四十八峰、九十九谷 といわれた岩殿山の山腹の崖を削り、千手観音像 を岩窟に納めたのが草創であるといい、また、役 ノ行者によって開かれた修験の霊場であるとも伝 えられている。
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昔は六十六ヵ坊を擁し、関東に並びなき大伽 藍を構えていたというが、今は堂塔の数は少ない。 だが木立ちを吹き抜けてくる風がすがすがしく、 巡礼者を山寺の法悦にひたらせてくれる。
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この寺の盛衰はまことに激しかったと記録にあ るが、源頼朝の命により比企能員が復興、能員が 北條時政のために自害をせまられて死去、その嫡 子時員は追手を逃がれて出家し、この寺を護った。
のち室町時代には 「袖をつき踵をめぐらして現当 二世の道をねがふ」(河越軍記)者が多く大いに 栄えた。だが永禄十年(一五六七)松山城合戦の 兵火で焼亡、一山の僧徒は悲境に離散。天正二年 (一五七四)僧栄俊が中興した。
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寛永年間及び明治十年に失火。現在のお堂は明 治十二年高麗村から移築したもの。本尊は千手の 坐像であり、相好端正なお姿は鎌倉初期の作風を 伝える。万治二年(一六五九)水野石見守忠貞奉 納の「明版一切経」慶長以前の記録「正法寺文 書」は貴重な寺宝である。
過去の記事
岩殿観音2007  桜の岩殿観音2010  晩秋の岩殿観音2010  アジサイの岩殿観音2012  岩殿観音のネコ2013  岩殿観音の銀杏2013  正法寺の桜2015・1  弁天沼2010
時の流れを感じることが出来るでしょうか?
皆さんも桜の散歩に出かけませんか?
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