本丸御殿内部1
こんにちは!
訪問いただきありがとうございます。川越市の散歩は続きます。
川越城本丸御殿が やっと出てきました。過去記事本丸御殿2012 2009
川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもので、16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治維新後次第に解体されていきました。
ここは内部撮影が出来ました。
画像はクリックで拡大出来ます。
川越城本丸御殿の記録として、もっとも古いものとしては「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に描かれた「川越城」部分の描写ということになります。「江戸図屏風」は17世紀後半に描かれた江戸とその周辺での3代将軍家光の事蹟を記したもので、その成立の経緯には諸説ありますが、江戸時代初期の様子を見るうえでは重要な資料です。
江戸図屏風の川越城は本丸と二の丸とされる部分が描かれており、朱塗りの社殿の三芳野神社と馬屋を隔てて向かい合う位置に白壁に囲まれた本丸御殿があり、その下に二の丸の建物群が描かれています。本丸御殿は正面に大きな門があり、9棟以上の建物が配されています。屏風には鷹を腕に留まらせた鷹匠の姿も見えることから、家光が川越周辺で鷹狩をした際に立寄った場面と考えることもできます。このことから、当時の本丸御殿は将軍が川越を来訪した際に滞泊するための「御成御殿」としての性格を示しており、城主の居所は二の丸の建物群であったとすることもできます。
江戸時代後期に成立した「新編武蔵風土記稿」においては、本丸に「今は家作なし」と記されています。家光没後、将軍家の川越来訪はほとんどなくなり、本丸御殿の御成御殿としての役目もなくなったためか、いつしか殿舎は解体され、「家作なし」つまり空き地になったと考えられます。
ところが、江戸時代末の弘化3年(1846)、城主の居所である二の丸御殿が火災によって焼失してしまいました。住居を失った城主は、新たな御殿の建造を空き地であった本丸に求めました。こうして嘉永元年(1848)、時の城主松平斉典(なりつね)によって本丸に新たな御殿が建てられたのです。
当時は川越藩の歴史の中でも最大の石高(17万石)を領していた時期であり、本丸御殿は16棟、1025坪の規模を誇っていました。
いきなり文字数オーバーで分割しました。後半家老詰め所~
皆さんも川越を訪ねてみませんか?
参考サイト
蔵造り・菓子屋横丁 3時間 観光コース マップダウンロード 蔵造りの街並み、小江戸川越を歴史散歩 小江戸巡回バス 小江戸名所めぐりバス
僕の川越記事
おでかけ川越 太田道灌公墓 川越へ2016 川越駅2016 三芳野神社2016 菓子屋横丁2016 川越市役所2016 クレアモール 小江戸川越一番街1 小江戸川越一番街2 蓮繋寺 川越散歩 大正浪漫通り 本川越駅 川越熊野神社 時の鐘 大正浪漫通りから時の鐘 雨の蔵造りの街 雨の菓子屋横丁 元町 六塚稲荷神社 喜多院2016 慈眼堂 仙波東照宮2016 中院2016 成田山川越別院2016 再び喜多院へ 喜多院の羅漢 富士見櫓跡 出世稲荷神社 本丸御殿2016 本丸御殿内部2 近くの記事一覧それ以外はブログテーマの一覧から。(リンク貼るのも疲れたので一覧で)
川越市の人気宿
川越第一ホテル 川越プリンスホテル カプセルイン川越 UTILITY HOTEL cooju(クージュ) ホテル三光 若竹旅館 川越東武ホテル




ポイント3倍・年会費永年無料カード



訪問いただきありがとうございます。川越市の散歩は続きます。
川越城本丸御殿が やっと出てきました。過去記事本丸御殿2012 2009
川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもので、16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治維新後次第に解体されていきました。
ここは内部撮影が出来ました。
画像はクリックで拡大出来ます。
川越城本丸御殿の記録として、もっとも古いものとしては「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に描かれた「川越城」部分の描写ということになります。「江戸図屏風」は17世紀後半に描かれた江戸とその周辺での3代将軍家光の事蹟を記したもので、その成立の経緯には諸説ありますが、江戸時代初期の様子を見るうえでは重要な資料です。
江戸図屏風の川越城は本丸と二の丸とされる部分が描かれており、朱塗りの社殿の三芳野神社と馬屋を隔てて向かい合う位置に白壁に囲まれた本丸御殿があり、その下に二の丸の建物群が描かれています。本丸御殿は正面に大きな門があり、9棟以上の建物が配されています。屏風には鷹を腕に留まらせた鷹匠の姿も見えることから、家光が川越周辺で鷹狩をした際に立寄った場面と考えることもできます。このことから、当時の本丸御殿は将軍が川越を来訪した際に滞泊するための「御成御殿」としての性格を示しており、城主の居所は二の丸の建物群であったとすることもできます。
江戸時代後期に成立した「新編武蔵風土記稿」においては、本丸に「今は家作なし」と記されています。家光没後、将軍家の川越来訪はほとんどなくなり、本丸御殿の御成御殿としての役目もなくなったためか、いつしか殿舎は解体され、「家作なし」つまり空き地になったと考えられます。
ところが、江戸時代末の弘化3年(1846)、城主の居所である二の丸御殿が火災によって焼失してしまいました。住居を失った城主は、新たな御殿の建造を空き地であった本丸に求めました。こうして嘉永元年(1848)、時の城主松平斉典(なりつね)によって本丸に新たな御殿が建てられたのです。
当時は川越藩の歴史の中でも最大の石高(17万石)を領していた時期であり、本丸御殿は16棟、1025坪の規模を誇っていました。
いきなり文字数オーバーで分割しました。後半家老詰め所~
皆さんも川越を訪ねてみませんか?
参考サイト
蔵造り・菓子屋横丁 3時間 観光コース マップダウンロード 蔵造りの街並み、小江戸川越を歴史散歩 小江戸巡回バス 小江戸名所めぐりバス
僕の川越記事
おでかけ川越 太田道灌公墓 川越へ2016 川越駅2016 三芳野神社2016 菓子屋横丁2016 川越市役所2016 クレアモール 小江戸川越一番街1 小江戸川越一番街2 蓮繋寺 川越散歩 大正浪漫通り 本川越駅 川越熊野神社 時の鐘 大正浪漫通りから時の鐘 雨の蔵造りの街 雨の菓子屋横丁 元町 六塚稲荷神社 喜多院2016 慈眼堂 仙波東照宮2016 中院2016 成田山川越別院2016 再び喜多院へ 喜多院の羅漢 富士見櫓跡 出世稲荷神社 本丸御殿2016 本丸御殿内部2 近くの記事一覧それ以外はブログテーマの一覧から。(リンク貼るのも疲れたので一覧で)
川越市の人気宿
川越第一ホテル 川越プリンスホテル カプセルイン川越 UTILITY HOTEL cooju(クージュ) ホテル三光 若竹旅館 川越東武ホテル
![]() 【全国送料込】川越市〈亀屋〉亀の最中 16個入【内祝い お返し 出産内祝い 香典返し 快気祝い… |
![]() 川越市〈亀屋〉河越茶のお茶ぷりん 1個 |

ポイント3倍・年会費永年無料カード


この記事へのコメント